8~9年前の自宅周辺の野鳥観察記録の話

8~9年前の自宅周辺の野鳥観察記録の話
Page content

I. 経緯

なんて利己的で自分勝手で需要のない記録なのだろうか、と私自身自分でそう思いながら、こんな記事を書いているわけである。まあ、暇だったのだ。

はてさて、なぜこんな8年前?9年前?の記録を持ち出してそれを題材にブログを書こうと思ったのかというと、それは部屋の掃除中にこのひとつの小さなノートを見つけたことに由来する。

↓これである。

コロナ禍で登山の自粛が暗黙的になっている現状において、暇を持て余すこととなった私がまず行ったことは、物が散乱する自室の掃除であった。その過程でこのノートが発掘されたわけである。

さて、私の家の近くには野川という多摩川水系の一級河川が流れている。野川は国分寺市の日立製作所中央研究所敷地内の湧水にその源を発し、小金井市、調布市、狛江市、世田谷区を通過しながらおおよそ南東方向に流れ、東急田園都市線二子玉川駅付近で多摩川に合流する。野川の北岸は一様に急斜面である。その正体は、多摩川が10万年もの歳月をかけて武蔵野台地を削り取って形成された、「国分寺崖線」と呼ばれる河岸段丘である。この崖は「ハケ」と呼ばれ、多くの湧水や雑木林が残っており、アスファルトに覆われた都内において生き物たちの重要な生息空間となっている。

↓2012年4月、桜満開の野川。奥に見える樹林に覆われた崖がいわゆる国分寺崖線である。

当時中学生の私は、光学36倍ズームのニコン製コンデジを首に提げ、コールマンのショボい双眼鏡を片手に、鳥を探しながらママチャリでイノシシのごとく野川の遊歩道を駆け回っていたわけである。

さて、前フリはこのへんにしておこう。

II. 概要及び記録された鳥類

まず、このノートには2011年10月1日から2012年12月24日までの、野川周辺(だいたい甲州街道より下流部)における野鳥観察記録が記されている。ここでの野川「周辺」は、野川と平行して連なる国分寺崖線の樹林帯、多摩川との合流部である兵庫島河川公園、そしてその上空を含んでいる。ほかにもいろいろ含まれているかもしれないが、8年前の断片的記憶を掘り起こしながら書いているので正直記憶があやふやなところがある。許してほしい。

期間内での観察日数は合計66日であった。ノートにはご丁寧に確認した個体数やイラストまで書かれている。

↓こんな感じ。

まず、私はこの1年2ヵ月という期間で、野川とその流域で84種類の鳥を見ていたようだ。これが果たして多いのか少ないのか、私はその道のプロではないのでよくわからないが、私が当時13~14歳のクソガキであったということ、観察した場所が東京都内であるということを踏まえると、なかなかすごいのではないかと私なりに思ったりしてしまう数字である。確認した種類の詳細は以下の通りだ。

III. 季節別傾向

次に、先ほどの表から、確認された野鳥を留鳥(黒)、夏鳥(赤)、冬鳥(青)、旅鳥(緑)、外来種(紫)、迷鳥及び不明(細字)に分類し以下の表に示した。

基準としては、まず夏鳥、冬鳥に関してはそれぞれ4~10月と9~5月の間で、継続して1か月以上且つ3回以上確認されているかを基準にした。

旅鳥に関しては、3~5月または8~10月の間に1回以上確認された種類が該当する。

迷鳥および不明にカウントしているコガラ、ヨシガモに関しては、どちらも他種と混群を成していたが、おそらく同じものとみられる混群が別日にも確認されており、確認されたのが1回且つ1羽という事情からここにカウントした。ハイイロヒレアシシギにおいては、本来沖合性の野鳥であり内陸で確認されることは全国的にも稀であるという事情から、迷鳥とした。

↓ハイイロヒレアシシギ。同じヒレアシシギ科のアカエリヒレアシシギよりさらに沖合性の鳥であり、全国的にも珍鳥と言える。この個体は最終的にカラスに捕食された。

まず特筆すべき点としては、冬鳥の種類数が留鳥の種類数を上回るという結果になった。単純に野川周辺で多くの種類の野鳥を見たいなら冬ということになる。冬季は樹木の葉も落ちるのでなお観察しやすいだろう。また、カモ科やクイナ科はほぼ冬鳥であると言えるので、水鳥を観察するにはうってつけの季節であると言える。

↓毎年タシギ探しに勤しむ日が必ず1日はある。4月下旬まで残ってくれたりすると簡単に見つかる。

留鳥と示した猛禽類においても夏季より冬季の方が圧倒的に観察数が多い。これは、先述した樹木の関係と、冬鳥であるカモの仲間を狙って野川上空に現れるからと考えられる。また、オオタカとツミに関しては国分寺崖線の雑木林で繁殖を確認している。また、この期間内でタカ目の個体は6種類確認することができたが、フクロウ目の個体は確認することが出来なかった。しかし該当期間外であるが2015年11月に国分寺崖線の樹林帯でフクロウ1羽を確認している。

↓カラスと被ってしまったが証拠写真である。

夏鳥は5種類と少ないが、共通して言えるのはどの種類も野川、もしくは多摩川で繁殖している。特にコチドリは野川でも小田急線橋梁から下流部で毎年継続して繁殖が確認されている。

また野川は周囲に農地や屋敷林が点在しており、周囲のNPO団体も巣箱の設置など保護活動に努めていることから、カラ類など樹林性の野鳥も多く繁殖が確認されている。この年は付近の農地で本来冬鳥であるモズの繁殖が確認された。

4~5月や9~10月は渡りの時期であるため、本来山間部に生息する野鳥が休憩のため都会の樹林帯に立ち寄る。キビタキなどは決まって同じ地点(というか同じ木)に現れるので、同一個体が立ち寄っている可能性がある。

↓ツツドリ。カッコウ科は見分けが難しいが鳴き声を聞くことが出来れば容易に種類の特定が可能。「ポポポポ」と竹筒を叩くような音で鳴くので「筒鳥」である。

何が言いたいかというと、意外と身の回りに鳥はいっぱいいる。

IV. 野川河床整備工事とその影響

現在野川では、東京都により野川流域河川整備計画が立てられ、1時間当たり65mmの降雨に対応できるよう、河床整備工事が行われている。整備区域は河口から調布市の京王線橋梁との交差地点までで、現在、世田谷区域の河床整備工事が完了した段階である。

世田谷区域の中でも谷戸橋~小田急線橋梁部は湧水が豊富な区域であり、水生植物も多く繁茂し多くの野鳥が確認されていた。しかし右岸側は掘削工事が入ったことにより、水辺に繁茂していた植物が多く刈り取られる結果となった。神明橋下流右岸の旧アシ群生地の野鳥観察に関しては、近いうちに一定の期間を設けて継続的に行い、記録を作成しようと思う。

↓神明橋より下流部を臨む(2018/3/28)。工事前は右岸側の水辺にアシが生い茂り、毎年セッカ、クイナを見ることができた。

↓毎年神明橋下流右岸のアシの群生に渡来していたクイナ(2012/11/3)

また周辺ではカワセミの繁殖が確認されており、環境が維持された左岸側での営巣を期待したい。カワセミは崖状の土手に穴を掘って営巣するが、左岸側にはそういった環境が多く残されている。野川は比較的近い距離で簡単にカワセミを観察することが可能であるので、個体数が維持されることを望む。

↓カワセミの給餌。その姿から「飛ぶ宝石」と呼ばれる。毎年初夏になると野川で繁殖する。

雁追橋より下流部は、工事の結果、河道形状が直線的で単調な様相を呈してしまっていた。水際が直線的であり植生の復活が懸念される。上流部区域は先述の周辺住民と世田谷区、東京都が協議を重ねた結果、住民の意見を配慮した護岸形状の見直しが実施され、寄土等を実施することにより河道形状の直線化の緩和及び植生繁茂の促進が行われ、可能な限り多様性が維持された結果となった。

↓新井橋付近(2013/3/3)。河道が単調である。なお同年水際の礫地でコチドリの繁殖を確認した。思ったより野生生物はしぶといのかもしれない。

バン、オオバン、カイツブリ、そしてカモ科の鳥類は工事後の方が多く目にするようになったように感じる。これらの種類は野川の支流である仙川に多く飛来しており、コンクリートの垂直護岸で河道が単調であり、小さな中洲が点在する仙川の河道形状を踏まえると、以前より仙川に似た河道形状となった野川にこれらの種類の野鳥が多く飛来するのは頷ける。

河川整備工事後の環境の変化に鳥類がどう対応していくか見ものである。時間があれば、定期的に通って観察していきたいところだ。

V. まとめ

既出の2本の記事と比べるとオチもなくしょうもない記録であるが、今回このような記録をこの場で記事として書いた理由としては、自分なりの言葉で言えば、「そこらへんの可能性」を軽視していたということを、今回ノートを見つけたことを通して痛感したからだ。

私は都立戸山高校に入学してから、「世界の広さ」というものを痛感することが何度もあった。どいつもこいつも頭がいいし、考えも深いし、その水準に合わせようとした結果、私は自然というものに対しても、長時間汽車に揺られて重いザックを背負い、辛い思いをして、よりスケールの大きい自然を感じなければ満たされない身体になってしまっていたようだ。むろんそれは、私自身が地図帳に示されたロマンを追い続けた結果でもあるのだが。

しかし、今回、8年前の自分が1年間書いたたったひとつのノートのおかげで、私は身近な可能性を感じることができた。90%くらいはアスファルトに覆われて死んでいたが、10%くらいはまだ生きていた。その10%くらいの可能性に胸を昂らせないわけにはいかなかったし、今は無い90%くらいにも、太古の鼓動を感じざるを得なかった。ふと振り向いて注目してみると、そこには何かしら物語があるのだ、と改めて気付いてしまったのだ。可能性というものは、意外にそこらへんにたくさん転がっているのかもしれな い。

P.S: まとめ、としたが多分まとめられてはいない。